イスラム教

イスラム教の国トルコ

国民の98%がイスラム教を信仰していると言われています。

イスラム教の教えとはアッラー(神さま)は一人ひとりに存在します。
天にいるとされる自分のみの神さまにお祈りをして信仰します。

トルコではイスラム教の信仰が他国と少し違います。
例えば、お酒を飲んでも煙草を吸ってもいいのです。
また、礼拝に行く人も行かない人もいます。
お祈りさえしない人もいます。それでも、イスラム教の信者なのです。

だれも罰せられることはありません。
これは国の政策によるもの、正教分離によってできた、信仰の自由なのです。

中東地域ではイスラム信仰が法律化されている国があります。
そのため厳格なイスラム教徒のようにみえます。
本来自分の神さまにどのように信仰するか、
それぞれの考えを尊重することが生きるうえで、大切なことです。

トルコ人の信仰心、宗教感覚は、もっとも自然であるようにわたしは思います。

中には家族の強制もありますが、ほとんどの女性は自分の意思でスカーフを被っています。かぶりたい人と被りたくない人と、ただ意識が強くもなく、いつの間にか被っている人など様々です。

トルコでイスラム教を見るまでは、わたしはこのように思っていました。
イスラム教の女性は家から外に出て、人に姿を見せてはいけないのだと解釈していました。
どうやら、それは違うようです。
イスラム教を理解することはカンタンではありません。
そもそも、宗教を語ることもタブーと言われているくらいです。
このタブーをわたしは説きます、宗教とは「こころ」しだい、考え方の原点だと思うのです。

悪いことをしてはいけないと多くの神さまが示されます。

たとえ信仰心が強くとも、日本でも世界でも、イスラム圏でも、悪いことが起きます。

避けることができないときがたくさんあります。

絶対的に宗教解釈では解決できないこと、割り切れないことがあります。

トルコを訪れるとき、トルコにおけるイスラム色は、
わたしたち外国人にとって、問題になることは全くありません。

トルコではラマザン中、断食している人の前で食べものを食べても問題はおこりません。
わたしはわたし、あなたはあなた。
他者を認めることができる、イスラムの考え方が根付いているからです。(例外の人もいるかもしれませんが)。

ラマザンとは断食際のこと、 その期間、断食をします。
なぜ断食をするのか?
それは、お腹が空いても食べるものがない、食べれないことを体験し、

本当に食べものがなくて食べれない人たちのこと、その想いを分かち合うことを目的とします。
もちろん、断食をすることも強制、義務ではありません。本人の考えによるものです。

余談ではありますが、わたしの友人(トルコ人)はイスラム教を信仰していません。
むしろ、嫌っています。
他の宗教を信仰しているわけでもありません。

その彼女も人に親切であり、トルコ人の信仰深い人と何ら変わりありません。

宗教の自由。思いやりのあるトルコ国民は生まれ持った、自由な精神の持ち主だなぁとわたし感じます。

さらに余談で、トルコ人はよく、ひとり言を小さな声で言います。「なんて言ったの?」とわたしは聞きます。

「アッラーありがとう」と口ずさんでいるのです。いつも感謝の気持ちを持って生活している国民です。

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